明日の行方(1995年 SMILE)

(1)

「本田さーん!お湯沸いてまーす⁈ 」
ハッと我に帰ると、目の前のポットからお湯が溢れていた。

「ごめん、ごめん、鈴木さん」

「大丈夫ですか?」

「うん!ありがとう!思ったよりも、お湯は溢れてなかったよ!」

「そうじゃなくて、本田さん疲れてます?ボーっとしてる時間が多かったから⁈」

えっ⁈

「そりゃ、いかんな」

両手で頬を、ポンポンと2回かるく叩いて、
「大丈夫!」

「お客さんが居ないエリアの掃除と補充に行っても、大丈夫ですか?」
掃除道具&砂糖などの補充グッズを持って、鈴木さんは心配そうに、キッチンまで歩み寄る。

「本当に大丈夫だよ!考え事を、してただけ!」
ガッツポーズで、元気アピール!
金曜日の夜は、割と落ち着いた日となった。

「はい、よろしく!週末なので補充は、多めでお願いします」

「分かりました!」

ヒロは、突然やってきて、大きな宿題を置いて帰って行った。童話で盛り上がる2人ってのも、面白い構図だろうがヒロの意見も一理ある。

一番許せないのは、街の人々と父親。父親となった、ヒロらしい意見。

だけど……。

このモヤモヤは、大きいぞ!ヒロ!自分の性格なんて、振り返ったことなんか無かった。

「本田さん!補充作業、終わりました」

「お疲れ様」

鈴木さんは、何か言いたげな表情。

ん?

「ホール内の作業は、お客さんが居なくなるまで出来ないので、キッチン作業手伝いましょうか?」
洗い終わったスプーンを拭きながら、鈴木さんは珍しい物を見たな〜って感じだ。

「ん〜。キッチン作業も順調に進んでいるから、大丈夫だよ!ありがとう」

「そうですか」

「学校は、どう?」
何となく気を遣わせてしまった様なので、話題を変えてみたかった。

「もう、卒業の単位は足りてるので、卒論くらいですかね〜。あとは就職活動ですが、絶賛迷走中ですよ〜」

「何を狙っているの?」

「一般公務員を狙っているんです」

「なーんか、らしいね」

「営業とか数字に追われるイメージの職業、人と関わる仕事って向いてないと思うんですよね〜」

おっとりしたイメージの鈴木さんらしい。確かに、お世辞にも営業は向いていないと思う。

「じゃあ、仕事でサービス業は、選択肢には?」

「無いですね〜」
即答。

「でも、バイトは、喫茶店なんだ⁈」

「私、車が無いじゃないですか〜。雪の日とかを考えると・・家から近い所が良いかなって!」

なるほどねー。

「ちなみに私、コーヒーが苦手です」
チラッと申し訳なさそうな表情だ。

「そうなの!」
鈴木さんの行動指針って面白い。ペロって舌を出す仕草の鈴木さん。表情がコロコロと変わり、分かりやすいのも、鈴木さんの魅力。

ありがとう、癒されました。

(2)

〝マズローさんの5段階欲求説″
アメリカの心理学者、マズローさんが提唱した欲求段階説。

大まかに云うと、人間心理学では、欲求はピラミッドの階段の様に階層で分けて、1段階の欲求が満たされれば、次の段階の欲求に昇格していくと云う考え方。

①第一段階 生理的欲求
生きていくための基本的な欲求。食事・睡眠など、この欲求を満たせば次の安心・安全の欲求を求めはじめる。

②第二段階 安全欲求
安心・安全な生き方をしたいって欲求。雨・風を凌げる家、健康な身体など、この欲求を満たせば次の社会的欲求を求めはじめる。

大学の心理学の講義で聴いたなぁ。

生命の保障、安心・安全が保障されない世界の話。
そこでは、一般論は通用しない。現代社会の日本では、マッチ売りの少女は、確かに保護されるべき対象だ。

自分が高次元とは思わないけど、少なくとも生命の危険には遭遇しない。

皆んな、自分の事で精一杯の世界の話。

だからといって、マッチに火を付ける正当性が僕には理解出来ない!

「それは、……サンの性格だからさ!」
自分の立ち位置を、ヒロに云われた気がした。

思い起こせば、確かに好きな様に生きている。自分の考えの押し付けかも、知れないな。心の中の、モヤモヤは燻ったままだ!

少女は自分の考えを。思い付く限りの手段を実行し終わった年末だったのだろうか?

童話に情報を求めてもなぁ。

自己憐憫(じこれんびん)
簡単に言えば、自分で自分を可哀想だと思うこと。
自我を守る為の、手段の一つに用いられる事もある。そこまで、追い詰められていた世界観?

〝人って残酷″

僕は?
いろんなコトを振り切って、新潟に住んでいる。
それも角度を変えたら、残酷な行為なのかな?

うーん、アンニュイ……。

こんな時は、ファクトリーに顔を出そう!

(3)

〝アルビレックス″
このキーワードは新潟県では、ポピュラー!
全国的に見たら、どうだろう?
オレンジと青のカラーリングが基本ベース。

アルビレックスと云えば?
知名度が一番あるのは、プロサッカーのアルビレックス新潟。Jリーグの人気チームの一つ。

次はプロバスケットボールリーグの新潟アルビレックスB B?

それぞれ、アルビレックス新潟レディース、アルビレックスB Bラビッツ、女性チームが在る。

いやいや、野球ファンは?
野球の独立リーグ、新潟アルビレックスベースボールクラブ。

アルビレックスの名は、まだ他に……。

陸上競技のアルビレックスランニングクラブ。
ウインタースポーツ(スキー競技など)、チーム アルビレックス。

そんなスポーツを華やかに彩る、アルビレックス チアリーダーズ。通称、アルビチア。

サッカーのアルビレックスに至っては、シンガポールリーグにも参戦して、アルビレックス新潟シンガポール。その兄弟チームで、ヨーロッパで活動している、アルビレックス新潟シンガポール・バルセロナ。

もう、何が、なんだかね。

アルビレックスの名を持つ7番目に出来た、モータースポーツ〝アルビレックスレーシングチーム″

正直、新潟県の知名度はイマイチだ。
F1が開催される鈴鹿サーキットなど、大きな大会が在る国際レーシングコースが無い新潟県。モータースポーツに馴染みの無い県に、本拠地を置く小さなレーシングチームだ!

元々、愛知県岡崎市出身の僕は、モータースポーツに触れ合う環境だった。加えて、学生のころからサッカーのアルビレックス新潟が好きだった。サッカーの試合を観に新潟に行った時に、偶然アルビレックスレーシングチームを知ったのだ。

「誰も……。遠いですから、応援に来てくれないんですよ」
当時のスタッフさんから嘆き節。

じゃあ!ってコトで、ヒロ達を連れて三重県の鈴鹿サーキット、静岡県の富士スピードウェイ、それぞれに応援に行っていた。僕は、それ以来のファン。
マシンを修理したり、メンテナンスする工場。通称ファクトリーは新潟市中央区の自動車修理工場の一角に在る。正直、関係者以外こんな場所にレーシングマシンが在るコトも知られていないだろう。

「こんにちわ〜!」

勝手知ったるファクトリー、扉を開ければ数々のマシンが並んでいる。機械油と埃の混じった匂い。
その奥には、メンテナンス中のマシンが置いて在る。

「サンさん!いらっしゃい!」
作業の手を止めて、僕に気が付いたスタッフさん。
ここでの通称もサンだ!

「はい!お土産〜!」

「いつも、すみませんね〜。」

テーブルの上に、差し入れを置いて、僕は椅子に腰掛けた。

「サンさん、次の鈴鹿サーキットは、期待出来るかもですよ〜!」
軍手を外して、休憩がてら近寄って来てくれたのは
チーフエンジニアのベテさん!ベテランのベテが由来、チーム発足当初よりのスタッフさん。

「相変わらず、日程は厳しいですけどね〜」
奥からコーヒーを準備してくれたのは、チーフメカニックさん。選手・業界関係者からは、マスターと呼ばれる、直しの達人。

基本、2人がファクトリーを守っている。レースが近付けば、20人くらいのスタッフになるが通常業務は2人。レースを知れば知るほど、作業が多くて大変⁉︎2人で行なっている事実を驚愕する、レース関係者がいるくらいだ!

モータースポーツっていっても、様々なカテゴリーが在る。アルビレックスレーシングチームが参戦しているのは、全日本F3選手権、スーパーFJ、二つのカテゴリー。
いやっ⁉︎2つを運営するのが精一杯だろう。全日本F3選手権は、全国のサーキットを転戦するシリーズで、全20戦。スーパーFJは、各地のサーキットで地方シリーズが開催されている。だいたい5戦〜8戦の地方シリーズ選手権。特別戦が、岡山国際サーキットと鈴鹿サーキットで行われて、年末には日本一決定戦が開催される。

アルビレックスは、宮城県のスポーツランドSUGO、静岡県の富士スピードウェイで開催されるシリーズに参戦中。レース車は、2つのカテゴリー共に、F1みたいなマシン。国内では、スーパーフォーミュラが最高峰。その下のカテゴリーが、全日本F3選手権。スーパーFJは、最初の入門フォーミュラみたいな感じかな?

毎週末に、レースが開催される月も在り、大忙し。サーキットに行って、レースを行う。すぐに新潟に帰ってメンテナンスして、またサーキットへ向かう。

全日本F3選手権は選手専用のマシン。スーパーFJは、全4台のマシンをスポーツランドSUGO、富士スピードウェイで、それぞれ違う選手が使用している。サーキットや選手の個性で、ギアボックスを交換したり、運転シートを変更したり、縁の下で支える2人はフル活動。

ここまでの成績。全日本F3選手権は入賞まで、あと1台っていう惜しいレースが続く。スーパーFJは、富士スピードウェイで4人の選手が参戦して、最高位は3位。スポーツランドSUGOでは1人の参戦で、2戦が終了して、第1戦・2戦共に2位。

数字上は悪くないと思うのだが、優勝以外は全て敗者が、モットーのベテさんは不満。

「今度の鈴鹿サーキットは、ニューパーツが投入出来そうなんです!やっとスタートラインに立てますよー!」
ベテさんは、嬉しそう。

モータースポーツは、当たり前だけど道具(車)が重要。何をするにも、お金が掛かる。パーツの購入だって予算次第。出来るコト、出来ないコトを限りある時間の中で、2人は日々、格闘しているのだ!

昨年度は、全日本F3選手権で、クラス優勝しても、
新潟の地元新聞では記事掲載が無かった。愛知県の地元スポーツ新聞だったら、毎日、モータースポーツの記事が掲載されている。文化の違いを痛感する日々。スポンサー次第のスポーツ。
新潟だったら、地域密着型の新しい形で、モータースポーツチームが出来るんじゃないのか?そんな期待を込めたレーシングチーム。いつか、2人が報われたらいいなって思う。

(4)

「お疲れ様で〜す!、あれっ!サンさん⁉︎お疲れ様でーす!」

「あれ⁉︎竹岡選手、お疲れ様です!」

扉が開いた音がしたので、誰かと思ったら竹岡選手だった。竹岡選手は、スーパーFJのスポーツランドSUGOシリーズに参戦中。昨年度の成績は、シリーズランキング2位。今年こその思いで参戦中だが、
第1戦は2位、第2戦も2位、完全なるシルバーコレクター。

参戦初年度は、三重県の鈴鹿サーキットで参戦してた事もあり、思い入れの在る選手。センスは抜群だと思うのだが、何故か決勝レースでは近年、歯車が合わない印象。確か、住まいは宮城県だったはず。

「どうしたんです?新潟に来て⁉︎」

「社長に、今後の活動計画報告とスポンサー活動を兼ねて新潟に来たんです!」
アルビレックスレーシングチームの社長は、チームの監督を兼ねている。

「序盤戦、あと一歩ですね」

「うーん、あと一歩の原因が不明なのが辛いですね」
竹岡選手は、申し訳無さそうな表情。

「一発の速さは在るんですが、決勝レースは……」
ベテさんは厳しい。

「レースは残り3戦、巻き返しますよ!」

「そうこなくっちゃ!」

「最近、サンさんには、勝ちます詐欺みたいになってるから⁉︎」

「僕は、単純に応援してるだけ!応援のスタイルは共感だから、謝る必要は無いですよ!勝てば共に嬉しいし、負ければ共に悔しいだけ!現地応援は共感出来るから最高ですよ!」

「そう言って頂けると助かります!」

ただ、スポーツランドSUGOは宮城県。そうそう簡単には行けない。9月の最終戦に応援に行く予定で、お金を貯めていた。

「ちなみに、今シーズンで引退しようかと思っているんです」

突然の引退宣言⁉︎ ベテさん、マスターは知ってる素振りだった。

「サンさんには、最初のシーズンから応援してもらってるから、ちゃんと報告したかったんです。今年で、自分の父親が定年退職ですし、これからのコトを考えて、結果が、どうあれ潮時かなって」

竹岡選手は、26歳。入門フォーミュラのスーパーFJでは、ベテランの年齢層となる。なによりも、参戦資金が掛かるスポーツ。トップカテゴリー以外、マシンは、選手の自己負担。チームは、選手を呼ぶのでは無く、チームは、マシンを提供する立場。選手、兼、お客さん。それが、モータースポーツの大部分。もっとも、トップカテゴリーの選手となれば大会規模も違うので、動くお金も桁違い。プロのレーシングドライバーとして、食べていける。

売れない芸人さん、売れない小説家、売れない俳優さんなどなど、売れなくてもバイトなど副業で最低限、食べていける。売れないレーシングドライバーは、レースに参戦する為に、最初から大金が必要となる。大幅な、マイナスからのスタート。
アルビレックスレーシングチームは、比較的チームにスポンサーが付いてて、参戦資金が低く設定されているとは云え、高級車が買える金額を投資する。
スーパーFJの優勝賞金では、レースの交通費にもならない。

これが現実。気軽に続けて欲しいとは言えないコトは、重々承知。僕は、言葉が見つからなかった。

「最後まで、応援よろしくお願い致します!」

「最終戦、絶対に応援に行きます!」
ありきたりな言葉しか絞り出せなかった。

〜☆〜☆〜☆〜


余談&筆者つぶやき

明日の行方
作詞 浅田信一
作曲 浅田信一


アルビレックスレーシングチームは、実際に在るチームです。自分は縁あって、活動当初から応援しています。
竹岡選手は架空の人物ですが⁉︎それ以外は、大体そのまんまかな?

夢を追っている人が、このお話で欲しかったので登場して頂きました。僕の周りには、夢を追っている人が多くて、紹介しきれない。どの業種か迷いました。もっとも、特殊で?新潟に在るってコトで⁉︎
アルビレックスレーシングチームさんの出番です。
個人的には、応援するのが大好き!夢の欠片に乗っかって、楽しんでます。もちろん、出来る範囲ですが……。

アルビレックスレーシングチームの選手は、応援する時は一方的に。そして別れは、何時も突然です⁈(翌年、参戦を断念)。お疲れ様です&今まで、ありがとうの言葉も交わせません。だから、竹岡選手のケースは、自分の理想かも知れません。
実際には?もちろん⁉︎数年後、サーキットで再会した時は、凄く嬉しいんですよ!

平行して、日常的な喫茶店ひまわりのメンバー話。
非日常的なサーキットの話。うまく絡めていきたいと、思います。

表現力の神様が、降臨しないかな?